いよいよ決戦:決意表明

いよいよ総選挙です。私の(1)政治を志した原点、(2)これまで4年間の活動、(3)これから実現したいこと、について書きました。少し長いですが、ご一読いただければ幸いです。

 

1.政治を志した原点

国際協力のNGOで働いていた二十代のころ、組織のビジョンやミッション(任務・使命)についてスタッフみんなで議論するワークショップに参加したことがあります。社会における組織の役割、めざすべき方向性、実現したいことをみんなで議論して決めました。

そのあと「そういえば、“山内康一”という個人の人生におけるビジョンとミッションは何だろう?」と思い立ち、自分のビジョンとミッションを考えたことがあります。その時の結論は以下の通りです。

全人類の生存のため、地球環境を守り、平和で公正な国際社会を築く。

弱者にやさしく、差別のない、公正で寛容な市民社会を日本と世界で実現する。

ビジョンやミッションの書きぶりとして適切かどうかは置くとして、二十代のNGOスタッフとしては壮大すぎるビジョンとミッションかもしれません。国連事務総長のミッション・ステートメントのようです。

しかし、微々たる力ではあっても、いろんな人や組織と協力しながら、こういう社会をつくりたいと願っていました。

そして、今もその思いは変わりません。このビジョンとミッションは、初心を忘れないようにと、今でもときどき見直しています。

大学を卒業してからJICA職員、NGOスタッフ、衆議院議員と何度か転職しました。しかし、どんな仕事についているときも、思いはいつも変わりません。「困っている人や弱い人のために働きたい」という思いです。

二十代のころは「世界でもっとも困っている人やもっとも弱い人のために働きたい」と思って、発展途上国への国際協力の仕事を選びました。困っている人や弱い立場の人が多いのが発展途上国だと思ったからです。

私の高校時代はバブル経済の真っさかりでした。経済が絶好調の日本では、国内の貧困や格差の問題には目が行きませんでした。アフリカの難民キャンプやアジアのスラム街で働くのが高校生の頃の夢でした。

そのために何を勉強をすべきかを考えて、国際基督教大学(ICU)の国際関係学科を選びました。発展途上国の貧困について学ぼうと「開発経済学」を専攻し、3年次には交換留学で1年間フィリピンの大学に留学しました。

大学卒業後にJICA(当時:国際協力事業団)に就職し、東南アジアへの技術協力に携わりました。さまざまな分野を担当しましたが、特に教育協力に興味を持ちました。

貧困の原因を突き詰めていくと、教育の問題に行きつくと思ったからです。そこでロンドン大学の教育研究所の「教育と国際開発」というコースに進み、教育政策や教育経済学、保健教育を学びました。

修士論文のテーマは「東ティモールとルワンダにおける紛争後の教育システムの復興の比較研究」でした。紛争後に平和な社会を築くためには教育が重要です。学力を身につけるということだけでなく、平和や和解のための教育、社会に参画し貢献する市民を育てる教育も重要です。

JICAを辞めてNGOに転職しました。NGOへの転職で給料は半分になりましたが、高校時代からの夢だった難民援助の仕事に関わりたくて転職しました。

NGOでは、インドネシアでスラムの子ども支援や災害援助に携わり、アフガニスタンで難民支援や学校再建に関わりました。東ティモールとアフガニスタンでは、現代の紛争の悲惨さを自分の目で見ることもできました。

またJICAとNGOの仕事で、霞が関の中央省庁と関わったり、外交の世界の一部をかいま見たり、政治と外交、政治と行政、政治と市民活動の関係について学びました。

NGOでは与野党の国会議員とじかに接する仕事も経験しました。国会議員と会って政策を提言したり、ODA政策の修正をお願いしたりという、「陳情」というか、「ロビー活動」というか、「アドボカシー活動」というか、そんな活動にも関わりました。

NGOスタッフとして国会議員とじかに接してみて、国会議員の仕事を知り、興味を持ちました。政治が外交やODA予算を決めていることを実感し、その重要性を認識しました。

あるとき候補者公募のニュースを知り、「国会議員を説得して政策を実現するのもいいけれど、自分が国会議員になった方が手っ取り早いんじゃないか」と思い立って、2005年6月に公募で政治の世界に入りました。

 

2.この4年の任期をふり返る

1)国会対策委員長代理 時代(1年目:旧立憲民主党)

前回の総選挙(2017年10月)からの4年間をふり返ります。1年目は結党直後の立憲民主党の国会対策委員長代理に就任しました。

私は当選2、3期目はいわゆる「国会対策畑」で、国会対策と議院運営委員会の仕事に関わりました。その経験を買われて、国対委員長の下でナンバー2の国対委員長代理を務めました。

当選4期にしては重要な役に就けてもらえました。私の交渉相手の自民党の国対委員長代理は、閣僚経験者で当選回数もずっと上のベテラン議員でした。

国会会期中は月曜日の朝から金曜日の夕方までずっと衆議院本館に張り付いて党内・党外の調整役として働きました。

新しい政党を立ち上げたばかりの時期だったので、いろんなものをゼロから作っていきました。当時の立憲民主党事務局の職員には「国対畑」の経験者がいなかったため、2人の未経験の職員といっしょに国対実務に携わりました。

議員会館の自分の事務所にいる時間よりも、衆議院本館の国対事務局にいる時間の方が圧倒的に長い日々でした。これまでの約13年間の衆議院議員生活で一番いそがしい時期でした。

もっとも重要な仕事は、他の野党の国対委員長や与党自民党の国対委員長代理との連絡調整です。国会内の根回しは、まず他の野党と調整して野党内の意思統一を行い、その次に与党の自民党国対と調整するかたちで進みます。

国会では与党第一党(=自民党)と野党第一党(=旧立憲民主党)の2者で協議して国会運営や議事について決めることが多いです。

多いときは1日に4,5回も与野党国対委員長会談を開くこともあります。与野党の国対委員長代理も同席するので、私もいつも参加しておりました(当時はよくテレビにチラッと映っていました)。

また国対委員長代理時代に立憲民主党の国会改革案の取りまとめチームの座長として国会改革案をつくりました。自民党が国会審議の「効率化」を求めるなかで、安易な「効率化」が国会のチェック機能を低下させかねないことを踏まえ、国会の行政監視機能の強化をめざす改革案をまとめました。

なお、旧立憲民主党時代の約3年間は福岡県連の代表も務めました。できたばかりの政党の県連代表として統一地方選挙に取り組み、多くの新人女性議員を誕生させることができました。参議院選挙では野田国義参議院議員の再選を果たすことができました。

 

2)政策調査会長代理 時代(2,3年目:旧立憲民主党)

国会議員の人事は秋というのが定番です。秋の臨時国会の前に役員人事や委員会の配置換えがあります。やりがいもあり忙しかった国対委員長代理でしたが、自ら提案して創設された「政策コミュニケーション局」という部署を担当したいと願い出て異動しました。

2年目、3年目は、党の政策の取りまとめを行う政策調査会の「政策調査会長代理」に就任し、兼務で「政策コミュニケーション局長」を務めました。

政調会長代理は、逢坂誠二政調会長の下のナンバー2という位置付けで、政策の取りまとめや法案審査、国会対策委員会との連絡調整等にあたりました。

逢坂政調会長は、初当選同期の長いつき合いで、政策通の優秀な方です。新設の「政策コミュニケーション局」の仕事にも深く関わってもらいました。

聞きなれない「政策コミュニケーション」とは、政策について一方通行の「広報」ではなく、双方向の「コミュニケーション」をめざし、多様な市民の声や専門家の提言を聞きつつ、党の政策を広く知ってもらうための活動を意味します。

この間、衆議院の外務委員会に所属して外交政策やODA政策、核軍縮等の課題にも取り組みました。NGO支援策、難民政策、文化交流等の外交や国際協力に関わるさまざまなテーマについて国会で質疑しました。

 

3)副幹事長 時代(4年目:現在の立憲民主党)

昨年(2020年)9月に旧立憲民主党、旧国民民主党、無所属議員が結集し、新しい立憲民主党が誕生しました。新しい組織になる際に人事異動があり、副幹事長に就任しました。また副幹事長と兼務して財務局長も務めています。

国会の仕事としては、衆議院の文部科学委員会や決算行政監視委員会、原子力問題特別委員会を担当しました。決算行政監視委員会と原子力問題特別委員会では理事も務め、委員会の議事運営についての協議にも関わりました。特に原子力問題特別委員会は、野党側の筆頭理事(=責任者)だったので大変でした。

うれしかったのは、念願かなって、やっと文部科学委員会で質疑に立てたことです。議員生活12年目でやっと文部科学委員会に配属してもらえました。これまで「国対畑」が長かったので、なかなか希望の委員会に所属できず、残念な思いをしてきました。

教育政策に関しては大学院で世界標準のトレーニングを受けています。いつかは文部科学大臣になりたいと思って、国会議員になってからも地道に教育政策を勉強し続けてきました。

その成果を発揮すべく、少人数学級の推進、GIGAスクール構想、大学改革、学校給食無償化などのテーマについて質問してきました。安倍政権のデータに基づかない「教育再生」が、教育現場に悪影響を与えてきた問題を取り上げました。

また党の政策調査会の「社会保障調査会」の事務局長を務めました。医療、介護、障がい者福祉、教育、保育等のベーシックサービスを充実して、誰一人取り残さない「支え合う社会」をつくるため、社会保障政策を検討してきました。その成果は衆院選公約にも反映されています。

枝野幸男代表の下に設置された「政権構想委員会」のメンバーとして衆議院選挙の公約の柱づくりの議論にも参加しました。今回の選挙公約にも私の提案がいくつも含まれています。

 

4)福岡3区での4年間の地元活動

福岡3区の民主党(当時)の総支部長に就任したのが2016年2月です。前々回(2014年)の総選挙は民主党埼玉県連に所属して埼玉13区で立候補して落選しました。

落選して浪人中に党本部から故郷の福岡での再チャレンジを打診されました。藤田一枝元衆議院議員が引退されるにあたって、私を後継指名していただき、福岡3区に移ることになりました。

それから5年9か月、国会が開会中を除いて、平日は毎朝駅で国政レポートを配り続けています。選挙区内には地下鉄空港線、地下鉄七隈線、JR筑肥線が走り、駅の数は多いです。平日は毎日駅に立ったとしても、全部をカバーするのに1か月以上かかります。

1か月から1か月半ごとに国政レポートを更新しているので、号外を含めてすでに60回ほどになります。国政レポートは駅でお配りするだけでなく、なるべくポスティングで広くお届けするよう心がけています。

国会議員として活動する以上、有権者に自分の考えや政策を知ってもらうのは義務だと思います。手間も予算もかかりますが、選挙のときだけではなく、日頃から地道に政策を知ってもらう努力を重ねることが大切だと思っています。

あわせてインターネット上の発信も心がけています。週に3回ペースを目標に定期的にブログを更新して、自らの考えや政策、日々の活動を知ってもらう努力をしてきました。

硬い文章が多いのですが、イベントの写真をアップしてイメージアップを図るよりも、硬くても真剣に政治や政策を語ることの方が大切だと思っています。硬い文章ですが、毎日何百人もの人が読んで下さっているので、時間をかけてブログを書き続けています。

福岡3区に限らず広く市民に訴えるために、本の出版や出版社のサイトへの小論文の投稿を心がけてきました。慶応大学の井手英策教授や同僚議員と共著で「リベラルは死なない:将来不安を解決する設計図」という新書を朝日新聞出版から2019年に出版しました。

朝日新聞社のウェブサイト「論座」にこれまで9回投稿し、住宅手当や学校給食の無償化、大学教育政策等について提言してきました。大学教授や専門家がよく見るサイトなので、日本のオピニオンリーダー層に訴え、世論を動かす原動力にしたいと思います。

実際に「論座」に投稿した論点について大学教授の方からメールをいただいたり、コメントをいただいたりと、それなりに反響があります。

ご参考まで:https://webronza.asahi.com/authors/2020110800002.html

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言中は難しかったのですが、定期的に国政報告会を開催してきました。国会での活動や政治の動きについて報告し、ご提案やご質問に答えるかたちで開催してきました。

さまざまな方法で有権者の皆さまに説明責任を果たすよう心がけるとともに、皆さまの声や思いに耳を傾けるよう努めてきました。

 

3.選挙後に実現したいこと

国会議員として取り組みたいテーマはいろいろあります。専門性をいかせるという意味では、教育や外交、国際協力に関わる政策に取り組みたいと思っています。

立憲民主党政権が誕生するとすれば、そして私も当選できれば、選挙後は当選5回です。当選5期目といえば、大臣適齢期です。文部科学大臣か外務大臣をやりたいと思っています。

教育に関しては、特に「生まれ」による教育格差を是正する政策を進めたいと思います。教育政策の枠にとらわれず、子育て支援策や学校給食の無償化等も含めて、包括的な教育・子育て政策を再検討します。

これまでの「小さな政府」路線のもとで自助や自己責任を強調し、教育費を親に負担させる政策がとられてきました。いわば「教育費の親負担ルール」です。まずそこから変えます。

東アジアの国際情勢は決して楽観はできませんが、防衛費を増やせば解決するという単純な問題ではありません。また隣国をいたずらに敵視する政策をとれば、本当に敵になってしまいます。

日米同盟を基盤として、価値観を共有する友好国との関係を強化し、いかにして戦争を防ぐかを真剣に考え、世界の平和や核軍縮に貢献する国家をめざします。ODAを通じて気候変動問題や難民問題等の地球規模の課題解決にも貢献すべきです。

フィンランドのような北欧諸国が、紛争調停や紛争後の復興支援に熱心な理由の1つは、「平和のために力を尽くしている国は侵略的な意図を持っていないだろう」というイメージを作るためです。日本も同じことをやるべきです。

残念ながら第二次世界大戦中の日本の悪いイメージは一部の国で残っています。フィリピンやインドネシアに住んだことがあるので実感します。戦後のODAや経済交流によってASEAN諸国等の対日イメージは大幅に改善しましたが、それでもナチスドイツと組んで世界を相手に戦った悪印象は消えません。

日本のソフトパワーを強化するためには「平和に貢献する日本」を世界に印象づけることが有効です。世界で日本の味方を増やす外交が重要です。そのための手段が、ODAや核軍縮、紛争調停や紛争予防、平和構築や難民援助への貢献です。

貧困と格差の問題も重要です。安倍・菅政治の9年間は格差や貧困の問題が存在しないかのような政治が続いてきました。格差と貧困を拡大してきた新自由主義からの脱却が急務です。

コロナ禍で「小さな政府」の限界が明らかになりました。ポストコロナの社会を構想するにあたって、新自由主義の時代を終わらせなくてはなりません。

岸田総理には新自由主義を終わらせる腕力と蛮勇はなさそうです。本物の政権交代なくしては、大きく政治を変えることはできません。

自民党政治が進めてきた「小さな政府」路線と新自由主義の時代を終わらせ、社会保障制度とセーフティーネットを充実して、誰一人取り残さない社会をめざします。困ったときに助け合い支え合う社会の基盤となる行政サービスを整備します。

原発ゼロと脱炭素化を両立できる「自然エネルギー立国」をめざします。原発は危険なうえに価格競争力も失っています。危なくて高くつく原発に依存せず、省エネルギーと自然エネルギーを普及させることで「原発ゼロ」を実現します。

省エネルギーと自然エネルギーの普及は、地方の経済活性化や雇用創出につながる経済成長戦略の柱になります。アメリカのグリーン・ニューディール政策を見ても、省エネルギーと自然エネルギーへの投資が「緑の景気刺激策」と呼ばれています。

仮に政権交代が実現できなかった場合にも、やりたいことはたくさんあります。将来の政権交代に向けて政策を練り上げ、国民に広く理解してもらうための方法を考えます。そのために立憲民主党にシンクタンクを創設すべく努力します。

また野党であっても独自の政党外交や議員外交は可能です。ドイツや韓国、台湾の政党はワシントンD.C.に事務所を置き、政党外交を繰り広げています。立憲民主党のワシントン事務所を創設すべく党内で根回ししたいと思います。

野党による行政監視は、健全な議会制民主主義の柱です。安倍一強政治で国会の監視機能が弱くなり、さまざまな疑惑や政と官の関係のゆがみを生みました。野党になったとしても国会改革を進めて、健全な民主主義を守るために努力します。

以上、長々と書き連ねさせていただきましたが、総選挙にあたっての決意表明とさせていただきます。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。