石原信雄官房副長官 回顧録【書評】

竹下内閣(1987年)から村山内閣(1995年)まで7つの内閣で内閣官房副長官を務めた石原信雄氏の回顧録が出版されました。激動期に多くの短命政権に仕えた「名官房副長官」です。石原副長官は、文字通り「余人をもって代えがたい」官房副長官、良い意味で「役人の中の役人」です。石原氏は吏道を極めた官僚と言えるでしょう。石原氏はいまの官僚の劣化をどう思われていることやら。

*山中昭栄 2018年 『石原信雄回顧録 我が人生を振り返る』(1~3巻)ぎょうせい

実をいうと、私は「官房副長官」というポストにあこがれていました。それでこの本を手に取ったわけですが、官房副長官に関しては思い出があります。衆議院議員に初当選したばかりの13年ほど前、当時の秘書との間にこんな会話がありました。

(秘書)代議士、国会議員として将来就きたいポストは何ですか?
(山内)うーん、官房副長官やりたいですね。
(秘書)・・・(しばし沈黙)・・・。そうですか。しかし、お願いですから、後援会の皆さんの前では、決して「官房副長官になるのが夢です」なんて言わないで下さい。嘘でもいいから「総理大臣をめざします」と力強く言ってください。頼みますよ。32歳で初当選した衆議院議員なんですから、後援会の皆さんは「将来は総理大臣、最低でも大臣」くらい期待しています。お願いしますよ。
(山内)そういうものですか・・・。でも官房副長官って、あらゆる情報にアクセスできるし、官邸の危機管理や首脳外交にも関われるし、やりがいあると思うんですけどね。
(秘書)そうですけど・・・。やっぱり将来の夢が「官房副長官」じゃ地味すぎます。官房長官ならまだしも、なんで「副長官」なんですか。やっぱりダメです。
(山内)わかりました。気をつけます・・・。

このように「官房副長官になりたい」という夢を語り、自分の秘書から「夢がない」とダメ出しされた思い出があります。

さて、本題に入ります。このところ「省庁再々編」が話題です。橋本行革のときの省庁再編後の組織をもう一度見直そうという動きです。厚生労働省や総務省といった巨大官庁にはムリがあると私も思います。そもそも厚生省と労働省はあまり共通点がなく、あってもせいぜい労働安全行政くらいだと思います。厚生労働省の予算規模は大きくなり過ぎており、「厚生省」と「労働省」と「子ども省」くらいに分けても良いかもしれません。

石原氏の橋本行革に対する評価はきびしいです。橋本総理が省庁の数を10に減らすことにこだわったために、まったく無関係な省庁を数合わせで統合することになったと指摘します。たとえば、自治省と郵政省の統合は何の合理的理由がないと、石原氏は批判します。まったく同感です。自治省は独立していた方が良いと私も思います。郵政に関しては、経済産業省の情報通信関係の部署と統合し、郵政放送通信を一元的に扱う役所にしても良いかもしれません。

また、石原氏は道州制にも批判的です。私もかつては道州制が良いと思っていた時期もありました。しかし、道州制も、単なる組織いじりになりそうだし、地域の独自色を失わせるかもしれないと思いなおし、道州制には後ろ向きになりました。たとえば、九州で道州制を導入したら、「福岡市の一強」がさらに強化されると思います。また、九州内部の多様性を失わせる可能性が高いと思います。

石原氏は、自民党政権、非自民の細川政権、自社さ政権とさまざまな主義主張の政権に仕えながら、どの首相とも上手につきあい、政権を支え続けました。政権が交代しても、毎回のように「官邸に残って引き続き官房副長官をやってくれ」と頼まれ、常にその時の政権を真摯に支え続けました。時の権力者とベッタリではなく、政と官の適切な距離感を保っていたからこそ、政権交代しても官房副長官を続けてほしいと頼まれたのでしょう。

ある意味で「官僚道」「官吏道」の鏡だと思います。どんな政権であっても民意を背景にしている以上、政治的中立性を保ちつつも、しっかり首相を支えるというのが、望ましい姿勢だと思います。首相の指示であっても、法規に照らして問題があれば諫言し、身体をはって止めるのが、役人のあるべき姿勢です。そういうことができたのが、石原氏でした。そして、選挙や政局には適切な距離感を保っているのも石原氏の立派なところです。

逆に「安倍総理と一蓮托生」みたいな官僚は、猟官制(spoils system:幹部公務員が政治任用される仕組み)のアメリカならともかく、日本型の公務員制度のもとでは望ましくないと思います。首相が代わっても変わらずに日本政府の屋台骨として働くという気概が、国家公務員に求められる姿勢だと思います。ひたすら安倍総理に忖度して行政をゆがめている最近の幹部公務員は、石原信雄官房副長官を見習ってほしいものです。