「野党はひとつになれ」は正しいか?

参議院選挙や野党共闘に関し、街でよく言われるのは次のご意見です。

安倍政権を倒すために野党はひとつになるべきだ。立憲民主党は、国民民主党と一緒になった方がよい。

この意見の背景には、次の2つの暗黙の前提があると思います。

1)二大政党制が望ましい。

2)野党協力(野党共闘)のためには、バラバラの野党をひとつの政党にまとまるべき。

以上の2つの前提に基づくと自然と次の結論に到達します。

立憲民主党も国民民主党も元は同じ民主党だから一緒になり、二大政党の一角を占めるべき。

しかし、他の先進民主主義国(主に欧米諸国)を見渡すと「二大政党制が望ましい」という前提は自明ではありません。二大政党は小選挙区制の国で見られる傾向がありますが、いまや純粋な二大政党は米国ほか一部の国で観察されるだけで、多数派ではありません。

英国では保守党と労働党以外に有力な政党が出てきて二大政党制の色合いが薄れています。欧州大陸の多くの国は、比例代表制を採用し、「ゆるやかな多党制」と呼ばれる政治状況にあります。

二大政党制とゆるやかな多党制のどちらが望ましいかという議論は昔からあります。政治学者のアーレンド・レイプハルトは、36か国の民主主義国を比較研究し、次のように分類しました。

〇 小選挙区制に基づく二大政党制は「多数決型民主主義」をもたらす。

〇 比例代表制に基づくゆるやかな多党制は「コンセンサス型民主主義(多極共存型民主主義)をもたらす。

多数決型民主主義よりもコンセンサス型民主主義の方が、女性の政治参加、投票率などの点で優位にあり、「民主主義の質」が高いとアーレンド・レイプハルトは主張しました。

多様な民意を前提にすれば、無理やり2つの政党に民意を集約する二大政党制よりも、有力な政党が4~5くらい存在する「ゆるやかな多党制」の方が自然です。いろんな意見や利害を無理に2つの政党(2つのチャンネル)で束ねようとすれば、切り捨てられる民意が多くなります。そう考えるとゆるやかな多党制の「コンセンサス型民主主義」に私は魅力を感じます。

二大政党制の発祥の地、米国でトランプ政権が誕生し、英国でEU離脱が決まった現在、二大政党制の方が優れているとは言い切れません。無理に二大政党化をめざす必要はありません。実際いまの日本政治も二大政党制ではありません。

安倍政権は、自民党と公明党の連立政権に、野党とはいえない翼賛政党の「日本維新の会」の側面支援を受けて、安定した政権運営に成功しています。安定して誤った方向に進んでいる気がしますが、少なくとも「安定していること」は否定できません。

立憲民主党と国民民主党を無理に統合してひとつの政党にするよりも、参議院1人区や衆議院小選挙区では候補者を一人に絞り込む選挙協力を実現し、比例代表ではそれぞれの党が独自色を発揮して戦うという方がスムーズだと思います。

安倍政権にとって代わる政権を狙うなら、立憲民主党の単独政権でなくてもよいと思います。野党第一党である立憲民主党を中心に連立政権をめざせばよいと思います。政権交代選挙である衆院選の時には、野党で共通政策や共通閣僚候補名簿を選挙前に用意し、選挙戦にのぞむといった戦術も考えられると思います。

ただし、参議院選挙の場合は、政権交代選挙ではないので、共通政策や共通閣僚候補名簿が必要ということはありません。(1)1人区での候補者の一本化を最優先し、(2)2人区ではケースバイケースの対応、(3)3人以上の選挙区では野党系候補を複数(2人以上)擁立し、与党の過半数割れをめざす、というスタイルが現実的だと思います。

政権寄りの一部マスコミは、野党共闘がうまく行ってない時は「野党はバラバラ」と批判し、野党共闘が進むと「野合」と批判します。どっちにしても批判されますが、多様な価値観の共存をめざすのであれば、「野党はバラバラ」批判の方がまだ許容できます。多様な意見を押しつぶしてひとつに強引にまとめるのはファシズム的発想だと思います。

ある程度の多様性と幅を認めつつ、安倍政治と対峙するために選挙協力を進めるというのが、野党共闘のあるべき姿だと思います。数合わせの政党の離合集散よりも、現実的な選挙区調整に力を入れるべきだと思います。