ジョン・ルイス・ギャディス「大戦略論」【書評】

長かった10日間の連休も終わりました。連休といってもイベントや地元活動もあり、全部休んだわけではありませんが、少し時間があったので、久しぶりに趣味の書評です。

学生時代に「政策過程論」という授業でイエール大学歴史学者のジョン・ルイス・ギャディス教授の「歴史の風景」という課題図書を読みました。私の解釈では、「歴史の風景」は、近年のアメリカの政治学があまりにも数量分析や因果関係の機械的な分析にとらわれすぎる傾向を批判し、歴史の全体像を見失わないことの大切さを指摘した本だった(と思います)。

たまたまジョン・ルイス・ギャディス教授の新刊「大戦略論」を手に取ったところおもしろかったので、連休中に読み終えました。久しぶりに人に薦めたくなる本でした。ただ、しばらく読み進めないとおもしろさに気づきませんので、最初の100ページは辛抱が必要です。

本書の「大戦略論」の原書名は「On Grand Strategy」です。日本では「戦略」という言葉が大安売り状態で安っぽくなってしまいました。獣医学部の許認可のどこが「国家戦略」なのか意味不明ですが、「国家戦略特区」といった行政用語まであります。こんな用語法にも役所の「戦略」のなさが表れています。

軍事や政治の用語としては、「戦術」より大きなものが「戦略」、さらに大きなものが「国家戦略(grand strategy)」となるのでしょう。しかし、日本では「戦術」レベルのものにまで「戦略」という用語をあてるケースがあります。単に「作戦」という程度の意味でも「戦略」という言葉が使われます。

ギャディス教授のいう「大戦略」とは、国家の存亡が関わるような重大な政治指導者の意思決定であり、国家全体の方向性に関わる大戦略のことです。

本書には、ギリシアとペルシアの戦争、アテネとスパルタの無意味な戦争、ナポレオン戦争、南北戦争、第二次世界大戦とさまざまな戦争、トゥキュディデス、アウグスティヌス、マキャベリ、エリザベス1世、フィリペ2世、クラウゼヴィッツ、トルストイ、リンカーンとさまざまな歴史的人物が出てきます。高校の世界史の教科書を手元に置きながら読むとよいかもしれません。

歴史上の人物で大戦略に成功した人と失敗した人を並べながら、勝因と敗因を比較します。偉大な人物の成功例だけを見ているとわかりにくい点も、失敗した例と比べることで、ポイントがより明確になります。比較は大切です。

マクロの重要な政治的決定だけに集中し、インテリジェンスや演技力まで駆使して国家をまとめ、部下を信頼してほとんどの仕事を任せ、スペインの無敵艦隊を破り、小国のイングランドを大帝国に押し上げたエリザベス女王。

一方、同時代のスペイン・オーストリア皇帝のフェリペ2世は、ハンガリーから新世界までの大帝国を継承し、マイクロマネジメントまで自ら口出しし、書類の山に埋もれ、人に任せられず、ハプスブルク帝国の衰退を招きました。

著者の「キツネとハリネズミ」のたとえも興味深いです。哲学者のアイザリア・バーリンは比喩的に「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大きいことをひとつだけ知っている」といいます。

ハリネズミはすべてのことをたったひとつの構想あるいは体系に関連づけます。キツネはいくつもの目的を追求し、目的同士はまったく関連性がなかったり、時には相矛盾することもあります。

政治学者による「将来予測の正確さ」についての研究によると、ハリネズミ型は予測を外す確率が高く、キツネ型の方が予測が当たる確率が高いそうです。

キツネは、予測にあたって複数の情報源から得た情報を統合し、批判的に検証し、自らの判断にも自信を持てない傾向があります。はっきり断言しないキツネ型の人は優柔不断に見えるため、テレビの政治番組のコメンテーターには向きません。しかし、自らの判断さえも疑う謙虚さが、将来予測の正確さにつながります。

他方、ハリネズミは、壮大な構想から演繹し、優柔不断とは無縁であり、批判もあっさり無視し、結論ありきで強気に自説を展開する傾向があります。ハリネズミの将来予測が外れやすいのも無理はありません。しかし、ハリネズミのように自信をもって大きな目的に向かって突き進む力なしにはリーダーシップは発揮しにくいのかもしれません。

世の中には、キツネ型の人もハリネズミ型の人もいるでしょう。また、同じ人物のなかにキツネの要素とハリネズミの要素の両方を持ち合わせ、場面に応じて使い分けることもあるでしょう。すぐれたリーダーは両方の要素をうまく使い分けることが求められるのかもしれません。

ギャディス教授が高く評価するのは「方位磁石を持ったキツネ」です。オクタウィアヌス、エリザベス1世、リンカーン、ルーズベルトがそうでした。

彼らはみな何が先に待ち受けているかわからないと認める謙虚さを備え、予想外の事態に対応する柔軟性、矛盾を受け入れてしたたかに利用する創意工夫を持ち合わせている。世界のありのままの姿を尊重し、その範囲内で可能な選択肢を見きわめ、注意深く評価する。

彼らは限界をわきまえ、期待を控えめにし、実証済みの手段を使って達成可能な目的をめざす。(中略)経験を重視し、経験に基づいて理論を修正する。

ここで「方位磁石を持った」というのは、大きな目的はぶれることなく、手段においては臨機応変であり、回り道や一時停止をしながらも、目的地をめざすことのたとえです。

また、著者のいう「大戦略」とは、無限に大きくなりえる願望と必然的に有限である能力のバランスをとることです。能力に不釣り合いな願望が、国家を誤らせます。

日本の軍事大国志向の危険性については言うまでもないかもしれません。どうもいまの政権は日本の「列強」入りをめざしているように思えてなりませんが、それは大きすぎる願望だと思います。わが国の首相には、ゴルフをする時間があったら、ご自身の別荘でゆっくりのギャディス教授の「大戦略論」をお読みいただきたいものです。そしたら「国家戦略特区」が、国家戦略と呼ぶには細かすぎてピント外れだと理解できることでしょう。

*ご参考:ジョン・ルイス・ギャディス、2018年「大戦略論」早川書房

大戦略論-ハヤカワ・オンライン
著 ジョン・ルイス・ギャディス 訳 村井 章子 ISBN 9784152098146 ピュリッツァー賞に輝いた現代史家による名講義録。解説/野中郁次郎(『失敗の本質』共著者) イェール大学の伝説の講座から生まれた戦略論の新古典 名門...