「自己責任の時代」と「民主主義を救え」by ヤシャ・モンク

政治学者のヤシャ・モンク氏(ジョンズ・ホプキンス大学)の本を最近2冊読みました。ユダヤ系ドイツ人のヤシャ・モンク氏は、世界的に評価されつつある新進気鋭の政治学者です。

ポピュリズム政治とリベラルデモクラシーの危機が広がるなか、暗い気持ちになりそうなタイトルの本がいくつも出ています。山口二郎教授の「民主主義は終わるのか」(岩波新書)とか、スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラットの「民主主義の死に方」(新潮社)とか、タイトルからして終わってます。(*しかし、両書とも読むに値する良い本です。)

しかし、ヤシャ・モンク氏の「自己責任の時代」と「民主主義を救え」は、どちらも陰鬱な現状分析から入りつつも、最後には希望の持てる方向性を示している点で良書だと思います。読後感として「民主主義を守るためにここで踏ん張らなくてはいけない」という気持ちになれます。

ヤシャ・モンク氏の「自己責任の時代」は哲学的な素養がないと難解な本で、私もどれだけ理解しているか微妙ですが、それでもところどころ心に残る内容があって、読んで良かった本です。

新自由主義的な政策の背景にあるのは「自己責任」を絶対視する考え方です。そこには「自分の責任で困難な状況に陥った人は救わなくてもよい」「自己責任以外の理由で困難な状況に陥った人だけを救済すればよい」という発想があります。

しかし、実際のところ「どこまでが自己責任か」という境界はあいまいです。家庭環境にめぐまれなかったり、貧困で教育を受けられなかったり、という人が困難な状況に陥っても「自己責任だ」とは言い切れません。にもかかわらず、自己責任を絶対視した制度設計があたり前になってきたのが、近年の先進各国の状況です。

そして「自己責任の時代」には、福祉の給付を受けるためには「自己責任ではどうしようもなかった」ことを自分で証明することが求められ、それを「屈辱的な開示」と呼ぶそうです。ヤシャ・モンク氏は次のように書きます。

近年の改革が支払った主要な代償の一つは、誰がどれほど受け取るかではなく、各人は何をすれば理論上受給資格のある給付を得られるのかという問いに関係している。責任に以前より大きな役割を与えたため、国家は、「責任ある」行動をとったと思しき人と「無責任に」行動したと思しき人とを峻別するように求められている。その結果、責任追随的な諸制度はつねに、福祉申請者に対し、侮辱的な申請手続きに従うことを求める。その過程でかれらは、恥辱となりかねない自らの私生活上の情報を明らかにするよう強いられるのだ。(中略)

運平等主義は、国家扶助の潜在的受給者全員に対し、自分の窮状が自分の選択ミスのせいではないことを示すように求める。これは、困窮者に自分は人生を少しでも改善させる才能なり性格なりをまるで持ちあわせていないのだと認めさせる―事実上それを証明させる―も同然だ(「自己責任の時代」より)。

屈辱的な情報開示を迫られるくらいなら、申請をあきらめる人も多いでしょう。申請する人は品位を傷つけられ無力感にさいなまれることになります。日本の生活保護申請の手続きでも、それに近い現状が一部存在しています。いわゆる「水際作戦」です。

これも日本で見られる「自己責任の時代」の特色のひとつだと思います。ヤシャ・モンク氏は本書の中で、どうすれば「自己責任の時代」を乗り越えていけるかを考えます。

次に「民主主義を救え」のテーマは「ポピュリズム政治とどう戦うか」という点です。権威主義的ポピュリズムの典型は、トランプ大統領、ベネズエラのチャベス大統領、イタリアのベルルスコーニ首相といった政治家です。ポピュリスト政治家に対抗し、民主主義を守るための3つの教訓があると著者は言います。

対抗勢力が、ポピュリストの恫喝の奥底に潜む狡猾さに気づかず、過小評価してしまう

ことがあるとヤシャ・モンク氏は言います。トランプ氏が大統領選に名乗りを上げたとき、ほとんどの有識者は泡沫候補扱いしました。しかし、大統領に上り詰め、世界を混乱に巻き込み、米国社会の亀裂を深めています。敵を過小評価してはいけません。

ポピュリストに抵抗しようとする者たちは、自分たちの無力さに気づくまで、力を合わせて協働しようとしない。多くの国でポピュリストたちが権力を掌握できたのは、野党勢が選挙協力で合意できなかったからに他ならない。

とヤシャ・モンク氏は言います。日本でも同じことが起きない保証はありません。安倍総理を「ポピュリスト」とまでは呼べないかもしれません(自民党の伝統的な世襲エリートです)。しかし、将来的に排外的ナショナリズムをもてあそぶポピュリスト政治家が出てこないとも限りません。その萌芽は見られます(大阪地方など)。

(*山内補足:ポピュリストの対抗勢力は)国にとってポジティブなイメージを提供することに失敗した。同胞市民に対して何が提供できるかを説くのではなく、敵の失政を喧伝することに躍起になってしまうのだ。ポピュリストの嘘や偏見、悪趣味を言いつのれば、国は悪夢から目を覚まして新しいスタートを切ることができると考えているかのようだ。

しかし、ポピュリスト支持者の多くは、自分たちがもり立てている相手が嘘つきで、憎しみに溢れ、がさつであることを十分承知している。彼らは既成政治家が無力であるからこそ、ポピュリスト政治家に惹かれるのだ。

この指摘はおそろしいと思いました。世界では政治家が嘘をついていても気にせず支持する人が大勢いるということです。安倍政権の支持率が下がらない理由の一端を説明しているのかもしれません。この認識を前提に考えていくことが必要です。

ヤシャ・モンク氏によると、以上の3つの教訓から導き出される結論は次の通りです。

民主主義の守護者がポピュリストの脅威を深刻に受け止め、旧来のイデオロギー的分断を超えて協働し、そして生産的な選択肢を示すことができれば、自分たちの制度を守ることができるチャンスは確実に増すのだ。

われわれ野党に求められる姿勢は、脅威を深刻に受け止め、分断を乗り越え、もう一つの魅力的な政権の選択肢を示すことです。

私がものごころついたのが1980年代後半のベルリンの壁が壊れて冷戦が終わったころでした。リベラルデモクラシーが世界を席巻して「歴史の終わり」が来るかと思いきや、「文明の衝突」や民主主義の劣化、権威主義的ポピュリズム政治の蔓延という惨状を見ることになってしまいました。スター・ウォーズ的に表現すれば、「ダークサイド」が広がりつつある今こそ、民主主義を守る戦いをあきらめてはいけない、ということを「民主主義を救え」という本は教えてくれます。

*参考文献: 

1)ヤシャ・モンク 2019年 『民主主義を救え』 岩波書店

https://www.iwanami.co.jp/book/b470972.html

2)ヤシャ・モンク 2019年 『自己責任の時代』 みすず書房

自己責任の時代:みすず書房
『自己責任の時代』の書誌情報:電子書籍もあります貧困、病気、さらには紛争地に赴いた記者の行為に至るまで、あらゆることに言われるようになった自己責任。人々の直感に訴え正論のようにも響くため、根拠が曖昧なまま濫用されてきた。本書はこのような自己責任 ...

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