マルクス・ガブリエル氏の評「倫理的政治家 メルケル首相」

ドイツのアンゲラ・メルケル首相に対しては好感を持っていますが、ドイツ人哲学者のマルクス・ガブリエル氏のメルケル評がおもしろかったのでご紹介します。同氏は哲学者の独特の視点でメルケル首相を評価し、「倫理的な政治家」と呼び、次のように言います。

メルケルは数多くの決定的な瞬間において、倫理的に正しい決断を行ったと思っています。だからこそ尊敬されているのです。難民危機、ユーロ危機、そしてコロナ危機において、メルケルは倫理的・戦略的洞察に基づいて行動しました。彼女は経済戦略と地政学的知識、そして倫理的洞察を組み合わせてあらゆる事態に対処するのです。トランプ同様、メルケルもわれわれ一般人が入手できない情報を得ることができます。しかしトランプと違って、彼女の基本的動機は倫理的に正しい選択をすることなのです。メルケルは数百年後の世界を念頭に置いて、遺産となるような持続可能なプロジェクトに取り組んでいるのです。

メルケル首相は、プロテスタントの牧師の娘で、家庭で倫理的な教育を受けてきたことでしょう。同時に物理学者でもあり、科学的思考のトレーニングをみっちり受けてきた人です。東ドイツで生まれ育ち、ベルリンの壁の崩壊という歴史的瞬間を経験し、全体主義とリベラルな民主主義の両方を体験したことで、歴史的な洞察力が深まったのだと思います。さらにロシア語にも堪能で地政学的な判断ができる基礎的な素養は十分にあると思います。倫理性、科学的思考、歴史的洞察力などをあわせ持つ稀有な政治家だと思います。

メルケルは、20年後の世界に自分がどう見られているかを考えています。これが彼女が偉大な民主的指導者たる所以です。メルケルはドイツ史上最高の首相、いや政治家かもしれません。その点はいずれ明らかになるでしょう。それは彼女がしたことすべてが正しかったからではなく、未来を見据えて倫理的な決断を下したからです。

政治家には毀誉褒貶がつきものです。どんな偉大な指導者でも、あら捜しすれば欠点は見つかります。「従僕の目に英雄なし」と言いますが、現職の首相であれば過去の政策判断ミスなどいくらでも見つけられます。にもかかわらず、同時代の哲学者にここまで絶賛されるのは相当な政治家だと思います。

メルケルが首相に就任してから、ドイツは福島の原発事故への対応として、原子力の放棄を決断しました。事故は日本で発生したにもかかわらず、メルケルは人類は二度とこのような事故を経験すべきではないと言いました。「ドイツは」ではなく、「人類は」と言ったのです。これはドイツの問題じゃない、人類の問題だと。彼女自身がこの分野の専門家であるにもかかわらずです。

メルケルは理論物理学者です。多くの物理学者は原子力を支持していますが、彼女は支持しませんでした。賢明な対応です。難民危機や同性婚にも同じ姿勢で対応しました。メルケルは個人的には同性婚に反対の立場であることをはっきり表明していたにもかかわらず、これを合法化しました。

メルケル首相は立派です。ドイツの首相ですが、人類の将来を見すえて原発廃止を決断しました。同性婚の件は知りませんでしたが、個人的な感情よりも、社会的要請を優先して同性婚を合法化したのだと思います。マルクス・ガブリエル氏は同性婚合法化を「人類の進歩」と捉えていますが、日本の首相も同様の認識を持つべきです。

メルケル首相は、欧州連合のグリーン・ニューディール政策を主導し、ドイツ国内で自然エネルギー普及に熱心に取り組んできました。これも人類の未来を見据えての倫理的判断かもしれません。日本にもメルケル首相のような「倫理的な政治家」が必要です。国民のいのちと暮らしを守りつつ、人類の未来のために倫理的判断ができる総理大臣を生み出したいものです。

*参考文献:マルクス・ガブリエル2021年「つながり過ぎた世界の先に」PHP新書